茶谷薫
マンガ評論家・夏目房之介さんが『マンガに人生を学んで何が悪い?』で述べたような、マンガが人生を変えてくれた、人生の大切なことを教えてくれた、という実感を持つ人は意外と多いのではないでしょうか。
かくいう私もその一人で、「人生」だけでなく、「お勉強」もかなり教えてもらいました。いわゆる「学習マンガ」の定番だった学研の『◎◎のひみつ』シリーズもそうですが、エンターテイメント性の高い作品でも様々なことを学びました。例えば、フランス革命を初めて知ったのは池田理代子さんの『ベルサイユのばら』を読んだ小学校一年生の時。それで興味を持ち、図書館などで調べたところ、オスカルやアンドレ、というキャラは実在しないと知り、落胆しました。しかしマリー・アントワネットやルイ十六世などは実在の人物だと分かり、俄然、西洋史に興味が湧きました。歴史だけではありません。海底の構造など科学的なあれこれは『ドラえもん』を読むことで一層好奇心がかきたてられました。
ところで児童向け作品の多くは「ルビ(ふりがな)」が振ってあります。そのため、絵本の読み聞かせで覚えた平仮名しか読めない幼い子どもも、セリフをある程度は理解できます。それだけではなくルビのお陰で、漢字の読みも自然と覚えられるのです。他にも様々な「お勉強」をマンガで学び、学習意欲も高まりました。
マンガが教えてくれたのは、歴史や科学や漢字といった、「勉強」だけではありません。「ストーリー」に「構造」があることを最初に知ったのもマンガです。そのキッカケは幼稚園の時に近所のお姉さんの雑誌にあった『ドラえもん』です。これは、のび太がドラえもんの道具を調子に乗って使い、電柱に上がったまでは良かったものの、下りられなくなり、泣いて助けを呼ぶ、というお話でした。当時、私は「オチ」というもの自体が分からず、「この男の子(のび太)が電柱から下りられないと可哀想だな。続きはどうなるんだろう」と心配し、続きが気になっていました。しかし数年後、ある書店で『ドラえもん』を何話か立ち読みした際、「ああ、『ドラえもん』は、のび太が道具で助かり、それで増長して失敗する、というお話が大半なんだな」、「電柱の上で困って泣いたのび太、の続きがある、のではないのだな」、「アニメのサザエさんみたいなんだな」とようやく理解できました。それが「オチ」という言葉で表されるストーリー作りの手法の一つである、ということは、もう少し後になって理解できました。
ところで、毎回何らかのオチがある『ドラえもん』とは異なり、ここでは「オチ」のない、マンガと教養に関するエッセイを、つらつらと書いていくことになりそうです。読者の皆様、よろしくお願いします。
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