【学生エッセイ】アートラボあいち大学連携プロジェクト体験記/李卓


アートラボあいちで実施された『大学連携プロジェクト2023【県芸・名芸・造形・学芸 夏休み連続講座】』に参加した。計5日間の講座は、美術・芸術の分野で活動していく上で知っておきたいことに焦点を当てた、愛知県内の芸大・美大の在学生と卒業生を対象にしたものだ。

 

講義は毎回、前回のレクチャーの振り返りから始まり、アートに関する様々な分野の専門家による60分のレクチャーの後、受講生によるディスカッションというかたちで行われた。

 


  受講生は、それぞれが自分のやりたいことや目的意識をもっていて、作品をつくったり、社会に発信しようと企画や展示をしている人が多かった。さらに、将来的に愛知で創作活動していく意思を持っている人も少なからずいたことが印象的だ。

 ほかの地域では、若いクリエイターが活動していくために、アートの中心地である都市に流出していく課題があるなかで、愛知県には文化芸術に親しむことができる環境があることが、そういった人材を繋ぎ止める要素になっていると思う。ディスカッションでは、レクチャーを通して考えたことや、アートに関する素朴な疑問も議論することができた。 

 1日目のレクチャー『社会と芸術』では、キュレーターの服部浩之さんによるレクチャーで、アーティストが社会に対して、あらたな気づきや視点をもたらす役割をもつことが分かった。

 例えば、アーティスト・イン・レジデンスの場合、アーティストは外から来た人であり、コミュニティの内側の人とは違う視点を持っている。また、アートプロジェクトなどによって、コミュニティの見えにくい問題や魅力を発見できる。

 しかし、服部さんによると、それが大規模なプロジェクトの場合、アーティスト1人ではできないことも多いという。例えば空き家を解体していくプロジェクトでは、業者や地域のコミュニティの協力が必要である。アートプロジェクトは、いかに地域住民とコミュニケーションをとって進めていくかが重要だという。

 2日目のレクチャー『著作権』では、行政書士である作田知樹さんから、多様な表現媒体が増えていくと同時に、アーティストが法的・倫理的な問題に直面することが多くなっていることが紹介された。また、アートにあてはまるのか、あてはまらないのかの判断が難しくなっている表現も多いという。

 今日では、アーティストが表現活動をしていくなかで、一度でも「パクリ疑惑」がインターネットで大体的に取り上げられ、炎上すると、その後のキャリアに影響することもある。私も気づかないうちに人の作品を無断で使用してしまうことがないように、作品を作る際は、制作のプロセスを記録しておこうと思った。

 また、どのような場合に著作権や所有権が発生するかという話が興味深かった。例えば、アイデアなどの形にしていなものや、シンプルな構成の作品は著作権が発生しないという。モンドリアンの代表的なシンプルな構成の作品に著作権がないというのは衝撃だった。

 3日目のレクチャー『アーカイブ』では、アーティストとして活動している文谷有佳里さん自身が行っているというアーカイブの実践的な方法が説明された。私は、今までほとんどアーカイブをすることがなく、ポートフォリオを作れといわれてもすぐには作れないと思う。必要になったときに資料が手元にないと、作品を見てもらうチャンスを逃してしまうかもしれない。「作品ばっかり作っていても、誰にも声をかけられない限り食べていくことはできないので、自分から動く。」という文谷さんの言葉が印象的だった。困るのは将来の自分なのだから、アーカイブをすることは重要だと認識させられた。

 また、文谷さんは日々、事務仕事を膨大にやっているという。アーティスト活動はひとりで会社経営しているようなものだと文谷さんはいう。実際、文谷さんによれば、日本では一部の超有名なアーティストをのぞいて、多くのアーティストがセルフプロデュースをしているそうだ。それでも多くのアーティストがコンスタントに作品を作りつづけている。その根源に作品をつくりたいという情熱がなければできないことだと思った。

 5日目のレクチャー『表現の自由』では、美学研究者の森功次さんによるレクチャーで、表現の自由がなぜ大事なのか、となぜ守られるべきかの2つの観点から、主に芸術領域においての、表現の自由について考えた。

 日本で生活していると、表現の自由があることはあたりまえに感じる。しかし、表現の自由がなぜ守られるべきかを考えたことはなかった。森さんによれば、芸術領域において表現の自由は解釈・批判の自由とセットでなければならないという。私はこれまで、表現の自由というと、作る側に目を向けがちだった。しかし、表現の自由は作る側だけの権利ではない。もし、芸術領域での表現の自由が作る側だけの権利だとすれば、他人の利益を害するような作品が、世の中に大量に溢れてしまうかもしれないからだ。また、外から批判することができなければ、政治的な思想などに利用されてしまう可能性もある。これらのことを防ぐためにも、外部者の観点から理解、批判することが重要であるという。

 私たちは誰もが何かしらのコミュニティに所属する内部者であり、他方で、違うコミュニティでは外部者となる存在だ。そのなかで、自分の属していないコミュニティで、価値観が異なっていても、それを理解しようとする姿勢をもつことが私にできることだと思った。

 自分が所属しているコミュニティでは内部者であることを自覚し、価値観が多様化する社会のなかで、リベラルアーツコースで教養を身につけていくことで、異なるコミュニティへの理解の幅を増やしていきたい。そうすることで、アートプロジェクトのように、アーティストや地域住民など、たくさんの人が関わり、新たな価値観をつくることができるかもしれない。