【教員エッセイ】マンガと教養(6) 生き方モデル/茶谷薫


『鬼滅の刃』が大人気だ。私が小学生なら絶対にハマっていたジャンプの王道マンガだと思う。『One Piece』も私が子どもなら大好きだったはずだ。メインやサブのキャラに対し、「〇〇みたいになりたい!」と憧れたに違いない。ジャンプの王道「友情・努力・勝利」! 健全でカッコいい。とはいえ、最近はキャラに「努力」をさせにくくなっているらしいと聞いているが、どうなのだろう。近代以降、楽で分かりやすいものが求められ続けてきたのだから、仕方のないことかもしれない。

 

子どもの頃、特に「カッコいいなあ」と思ったのは、ブラック・ジャックや『ギャラリー・フェイク』の主人公・藤田玲司。ああいう風になれたら良いなあ、でも無免許医や贋作を売る画商は拙いかも、と割と真剣に考えていた。

 

現実にいた「人生のモデル」は、小学生時代、近所にいた、マタギの子孫の同級生男子だ。この人は魚や鳥やハチの巣を取るのが上手く、しかも、「獲物」を華麗にさばき、美味しく料理できた。さらに、マムシを捕まえ、一匹数千円で売り、小学生にしては大金を稼いでいた。手先も器用で色々な物が修理できる、凄い人だった。

 

普通の女子社員にも主婦にも絶対になれないと思っていた私は、「これだ!!これなら自分で食べ物を取って、家やら何やらを補修して生きていける!」と感動し、弟子入りした。謝礼?は宿題を教えることだった。

 

ところで先日、友達と話して気づいた。その友達は「言動が素敵で生き方もカッコいい〇〇さんや△△先輩を目指している」と言った。目指す相手は同性の先達だという。彼女が子どもや学生時代に目指した憧れの人も全て女キャラだという。友達は、非常に現実的で着々と人生の階段を上っている。そういう人は私と全く異なる「生き方モデル」を選ぶのだ。

 

今の私には具体的な人生の憧れの人はいない。部分的に「これは見習いたい!」と思う人はたくさんいるが、半分以上が男である。ちなみに、子どもや学生の時に、お手本?としたのは全て男の人か、男キャラである。私はトランスジェンダーでもなく、自分のことは女だと思っているのだが。ここには社会におけるジェンダーの問題があるのだろうか。女の人生は自分の思い通りになりにくい(なりにくかった)、という問題が。

 

子どもの時の私は、フィクション作品の女のキャラのように生きるのは詰まらないと感じていた。今もそういう生き方は、自分に向いているとは思えない。ただし、現実の女の人たちの長所が目に入るようになってきたからこそ、見習いたいと思うようになってきたのだろう。

 

これを読んで下さっている方は、どなたなのだろう。その人たちの、人生のモデルとすべき人は誰なのだろう。そして、その人に憧れている理由も知りたいと思う。